権利/葉leaf
 
の広がりに対応して大きく拡散し、空間によって快く洗われ、体内が再び体内に収まるのを感じる。視線の向かう先もいつもよりも遠く、視線は長い行路を瞬時に辿ってはあちこちに反射される。

公園のベンチに座っていると、ときたま「このまま動けないんじゃないか」と思うことがあった。この生活の傍流には鉤のように人を引っかけてしまうようなところがあり、しかも普段の仕事と公園にいるときのどちらが傍流だか分からなくなる。何もかもが傍流の位置に整頓され本流がどこにも存在しないとき、私は本流に還るすべを見失い、ただ狭くなった疲労の角度をどこまでも開いていこうと無駄な努力をするだけである。

公園においてはすべてが取
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