虚構/葉leaf
青春が少年時代にも晩年にも老年にもなりえるのは、青春が一つの極めて豊かな虚構であるからだ。それは生きられる虚構であり、作り物でありながら切実で、真実を指し示し続ける浮遊物である。生と死が著しい強さを保ちながらめまぐるしく交替していく中で、その循環に耐え続けるためには、青春は虚構にならなければならない。青春は唯一の実体を持たず、何物にでもなりうる可能性を維持しなければならないのである。唯一の人生でありながら、可能的に何物にでもなりうるということ、それは虚構においてしか実現されない。かくして青春は生きられると同時に物語られるし、苦しまれると同時に捏造される。生と死が虚構のテクストの整合性の中で一点に凝縮されるとき、そこに青春の真髄があるのだ。
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