私の批評/葉leaf
批評というものが、何か新しいものを創造する表現であるとするならば、私の書くものは批評ではない。私の書くものは、作品と理論とがかみ合ったところで互いがどのように相互融解するかであって、そこに登場するものは既存の作品と既存の理論が主である。確かに、その作品にその理論を適用することの新しさ、既存の理論の応用の新しさはあるかもしれないが、それを超えた真なる創造はないといってよい。いわば出来合いのものの組み合わせの新しさがせいぜいあるにすぎず、それを超えた、私の独自性に根差した全き新しさなどというものは微塵もない。
というのも、私が書くのは批評というよりはむしろ論理なのである。論理とは誰もが理解で
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