詩人像の転換/葉leaf
 


 私はかつて、「詩人はかくあるべき」という詩人像を強く抱いていた。詩人とは何よりもその否定性において優れていなければならなかった。それは現実を否定して彼方へと飛翔する者でもあり、伝統を否定して新しい形式を探求する者でもあり、俗世の係累を否定して孤立して戦う者でもあった。そして何よりも枢要なことは、言葉自体を否定する者でなければならなかった。言葉を憎みながらも愛せざるを得ない運命にあるものが詩人であった。
 ところが、私はそのような否定性を徐々に失っていった。現実と対峙し和解すること、伝統を受け継ぎ他者と応答すること、社会を内面化し社会に対して開かれていくこと、そして言葉の可能性を素直に認
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