私が存在する理由とは、その理由を私に与える事/yamadahifumi
 
生まれた事は偶然事

死ぬという事も偶然事

生きるとは社会習慣と「大いなるもの」に服従する事

生きる事は耐える事であり、死とはそれからの解放

しかし、例えそうだとしても、死の後のひとさじの土くれに

私達が嫉妬する理由はないだろう・・・

何故、生きているのか、何故、存在しているのか その理由がわからぬからこそ

その理由を、「生」と名付けられた私に命名する為に

私達は生きねばならないのだ

だから、自殺者と同様に「ただ」生きている人間もまた

死んでいる事と同じだと私は確信する

そして、よし、私の存在が「何」でないにせよ 私は

私が存在する理由を私に与える事が

私が本当に存在するその為の理由だという事を

知っている



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