心の井戸/殿岡秀秋
 
汲みあげる
言葉になる前の想いが
溶けている井戸水から

丸い壁の井戸の底の水面には
手がとどかない
のぞきこむと
そこには何十年もつきあってきた
おれに似た顔がいる

顔はつぶやこうとして
唇を動かしている
でも水の中なので声にならない

おれは釣瓶を落として
すくいあげる
桶一杯の想いを

それを縁のある広い板に流し込む
陽に乾かしておくと
塩のような結晶がのこる

そのしょっぱいものが
おれの叫びだ
それを壺にためる
財産はそれだけなのだ

井戸の底の顔は
いつも何かささやこうとしている

それを聴きとるために
おれは今日も釣瓶を落す
水面がみだれて一瞬
素顔が跳ねる


戻る   Point(9)