題名しかない詩と題名のない詩(「質問スレ」のお話を受けて?)/EnoGu
争点。 「題名しかない詩」は可能か? 「題名のない詩」との違いはどこにあるか?
題名ということについて俺なりに言葉を整理し、問題の焦点を絞り込んでみる。
題名の問題。 最終的な次元で作者が作品(関係の関係としての宇宙)とどのように係わるかということ。
ここで題名という概念をその存在価値(=観念)において以下の二種類の構成要素に分類できると仮定する。
? 関係の関係としての詩作品に対する作者の責任の所在を示す「パフォーマティヴ(注:performative行為遂行的) な署名」としての題名(モラルとしてのポエジー/ユーモア)
? 詩作品の内側から結果として作者へと要請される「コンスタティヴ(注:constative事実確認的) なへその緒」としての題名(イメージとしてのポエジー)
「題名しかない詩」というのは?の意味において可能であると考える。 商標はこの意味において一個の詩作品であり得るといえる。
「題名のない詩」(「無題」をすら持たない詩)は?。 コピーなんかはこちら側ではないか。
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