ブラームスの海 /服部 剛
名曲喫茶ライオンの店内は
五十年前のコンサートが流れ
ブラームスの魂が
地鳴りを立てた、後の静寂(しじま)に――
(ごほ…ごほ…)
無名の人の、堪(こら)え切れない咳込みは
幾度も、幾度も、ホールに響く
まさか予想しなかっただろう
その人は、自分の咳が
五十年後の名曲喫茶に
ふらり訪れた僕の気に留まるとは
無名の人よ、あなたは
今、何処にいるのか
もしくは風になったのか
僕がコンサートに行って、もし
(ごほ…ごほ…)と咳込んだら
五十年後の誰かも、聞くかもしれぬ
――思い巡らせ瞳を閉じた、暗闇に
いつしか、時を越えて広がってゆく
ブラームスの海
ブラームスの空
ブラームスの夢
波間に輝く黄金(きん)の音符等を
絶え間なく、明滅させて
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