暗転、現実と前提/Ohatu
 
て、「できないことを肯定する」「できなくてもよいことにする」「できる人への憎悪を露わにする」というやりとりが一般的に行われているということを知る。これは、大きなショックだった。

なぜ、ショックなのか。彼ら彼女らにとって、美しい世界とは、決して希望を与えるものではなく、ただの憎悪の対象なのだ。努力すれば手に入るもの、というのは彼ら彼女らにとって、無いも同じ。努力をすることさえ、「わたしには才能がないから、努力できない」と言い放つのだから。努力をすることにどんな才能が必要なのか僕には分からないが、少なくともたったひとりの人物がそう語っているというわけではないのだ。ほとんどそれは、自分が幸せになるより、他人が不幸になることのほうが喜ばしいと言っているのと同じだ。そんな負の感情を、公然と、さも当然のことのように晒している。

この恐ろしい闇は、ここ数日、頭にはりつき、なかなか消えていかない。



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