「生きる悲しみ」について/yamadahifumi
 
 「生きてく理由は見つからないが、何故死なないでいるのかが解らない、そういう時に生きる悲しみがラスコオリニコフの胸を締め付けるのである。」という一節が、小林秀雄の「罪と罰?」にある。
 僕は自分のくだらない労働中に、多分、疲れていたのだろうが、その一節が頭をよぎってしかたなかった。自分にとって不本意な事をさも得意そうにするのは、現代に生きる者の普遍的な悲しみだから、僕の脳裏にそんな言葉がよぎったのかもしれない。
 こういう言葉が僕の脳中をよぎるという事はおそらく、僕にとっては不幸な事に違いない。僕という人間は不幸に違いない、とよくよく自分で考える。他人からはそう見えていないから、余計不幸なのだ
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