川柳が好きだから俳句を読んでいる(4、飯島晴子のこと)/黒川排除 (oldsoup)
彼女が自殺なんかしてしまったから、死という文字がへばりついた俳句に目が行くのは当然だ、しかしその死を直視しためらいもなく貼りつけた俳句は実に見事であり素晴らしい。抜け殻のような空虚感を巧みに演出しており、自殺さえしてなければ死にまとわりつきつつどうのこうのと書きたい次第ではあるが、自殺してしまったのでミイラ取りがミイラになったのだなという印象しか持ち得ない。それはそれで残念だが、このカラッポさは間違いなく独特のものだ。八木三日女が空間の中のポツンとした暴力を書いたとするなら、飯島晴子はポツンとした存在の空虚の死を描いていると言ったほうがいいのかもしれない。死の空虚ではなく空虚の死である、
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