僕が思う現代詩と合唱の関係について(8)/赤青黄
「歌う側独自の解釈」という形で応戦するけれども、現代詩側から
見たら「その鑑賞方法は間違っている」と言われるかもしれない。
だが、合唱を通して詩を鑑賞することは、少しずつではあるが現代詩に対する「関心」の
芽が育つことにつながっていることは他ならない事実であろう。
なぜなら、僕が実際そうだからである。
僕が今この現代詩フォーラムにお世話になっているのも、一重に「合唱」という存在が
あったからであるし、「国語便覧がみるのが楽しくなった」だとか「宮沢賢治の詩集を
買った」「合唱を始めたお陰で荻原朔太郎を知った」「その曲を歌う為に詩の作家の関連
書籍を買った」「好きな合唱曲の
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