僕が思う現代詩と合唱の関係について (1)/赤青黄
曲家からはたまた新人の作曲家に至るまで何度も何度も使われているのである。(実際家の合唱部にある六割程度の合唱曲が氏の作品であり、残りの曲も木島始氏などや草野心平諸氏の詩作品ばかりだ)
そう、逆に国語便覧に載っている作曲家が詩多く使われることをウラに返せば、最近の「詩」は合唱曲としてあまり用いられていない、という現状を物語っている。
昔はそうではなかった。昔の作曲家達は、その時代に生きる詩人達の作品を多く手に掛け、数々の名曲を作り、人々を感動の渦に巻き込んできた。(無論谷川氏もその中に含まれる)だが、今は、そうではないのだろうか…
これが、僕がネット上で詩を探し始めた、理由の一つである。
なぜ、最近の現代詩が作曲されないのか、その疑問を晴らすために。
そして出会ったのが、いくつもの詩投稿サイト、そして僕が今まで見てきた「現代詩」のイメージを払拭する程の、熱い何かを持ったまさに今を生きる人たちが書き上げたまさに「真の現代詩」の姿であった。
区切りがいいので今回はここまで、
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