黒毛の牡牛と/ゆべし
 

「あなたが相手どっていいのは結局のところ彼だけなのよ」
すっとなめらかな放物線を描いて彼女が指さした先には
波打つ筋肉も猛々しい牡牛がおりまして
つややかな黒毛が太陽の光をはじいて輝いております
「これがせめて人の頭をしていたら、あなたも英雄じみたことができたかもしれないけれど。
結局のところあなたは彼を相手どるしかできないのよ」

俺は大きく肺を広げ、熱気と砂ぼこりで埋め尽くした
鼻の奥で何かが焼け焦げるような香ばしい匂いがする
一見、選択肢は無限にありそうで(例えばこの競技場から逃げ出すとか)
実際、できることといえば限られている

俺ができることといえば目の前の筋肉の塊を
「相手どるしかできないのよ」
分かっている

「あんたのそのポジション、いいな」
「あなたとさして違わないわ」

けたたましい足音とともに彼が突進してくる
こわばる全身の力をできるだけ抜き、なるべく意識をぼやかして
彼の顔が迫ってくるのを、俺は目を細めて眺めている

日差しが強い日のことだった


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