現実へ/動坂昇
主張はどのように機能するのだろうか?
少なくとも一時期支配的だった美学の一傾向がもはや役に立たないのは確かだ。そしておそらく決して少なくない人々がそのことに気づいているだろう。
すべては仮象である、当事者の味わった経験と Youtube の映像はそれぞれに序列なき価値を持つ、そう信じながら Youtube を通じてのみ状況を認識する者は連帯の根本となる当事者個人の経験を尊重しようとはしないだろう。
すべては解釈である、現実など存在しない、あらゆるデータとそれに基づく推論はそれぞれに価値を持つ、ならば単に動くものを動かす力を持つ者たちだけが解釈の現実性にこだわらずに事の成り行きを思いのままに左右するだろう。
しかし今では多くの人がその欺瞞に気づき、ある人々は思索し、ある人々は行動している。彼らを支える美学を組み立てなければならない。
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