twitter/葉leaf
に囲まれた小島に一人立っている感じ。何も感覚しないし、誰ともやり取りしないし、意識も混濁している、それでも海の音だけは幻のように繰り返されている。すべて幻のように、私に触れることなく、私ももう何とも戦わなくてよいかのように。不可逆的、つまり回復不可能な感じ
飯坂電車という超ローカル線に乗って、車内で前時代的な切符を買い、窓外の景色を眺めると、俺はつくづくこの生まれ育った町が好きだ、と感傷的になった
心地よく怠惰な水の中の生活。何事が起きても水が緩衝材となってくれて、ただその残響だけが何気なく届く。体を動かすにも一つ一つ手ごたえがあり、身体が気化せずその重量を正しく感じさせる。息苦しさはなく、声も届く。テーブルは岩であり、炬燵布団は海藻である。そんな、水の中の生活。
無が押し寄せてくる。この機械音や晴天、揺れる木の枝、すべての感覚が無の衣装をまとっている。在ると同時に無いという事。それはこんな卑近な感覚の次元でも起きうるのだ。押し寄せてくる無に、私の無が応答し、共鳴し、調和する。すべて世界の裏側の出来事のようだ。
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