「読者」偶像化計画/ななひと
 
ような「感想」「評言」を書こう、と、きまじめな人は思うのであろうが、これもまた身もふたもないことを言えば、「読み」と「書き」の経済を考えるから故の行動とも言える。なぜなら、こうした真摯さは、「単に見返りに自分の詩が読まれることを求めているんではなくて、本当に誠心にあなたの詩を読んでいるのですよ。敬意と努力をもってやっているのですよ」という、相手への負債をできるだけ返済しようと言う気持ちから生まれるからである。つまり、「書く」行為が生み出した「対価」に見合うだけの「支払い」をしようとする、という行為なのである。じゃあこれは卑しい行為だと言いたいのか、というと、そういうわけでは全くない。当然の行為だし
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