「読者」偶像化計画/ななひと
 
ます。
 山田さんはまた独特の毒舌ぶりでもって、―それは私に岩野泡鳴的な爽快感を与えるのだけれども、そして私は泡鳴ではなくて抱月タイプだなあ。。と、明治マニアにしかわからない感慨を抱くのですが(←すみません。。)―「作品」は提出された時点で作者が統御することはできない「作品」として投げ出されるのであり、書き手はそれを自覚しなければならないと宣言しておられます。三方とも、「批評」ということに関して、それが及ぼす「効力」、多数の人が「読む」という「実践」を行う場における「読書行為」的側面に鋭く着目しており、私自身の立場は措くとしても、共感できる論でした。
 などと他人のふんどしを借りていますが、タ
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