萩尾望都私論その2 選択しないフロル/佐々宝砂
白からつくられた有機的な存在。しかも天使の像をモデルとして造られた。天使ですよ天使。亡き娘なぞに似てはいない。もともと男でも女でもない。そして、のどの奥にあるスイッチひとつで性を変える。あの簡単さが、私にはなによりもなによりもうらやましかった。少女のものとも少年のものともつかぬ無謀さと脆さをあわせもつミッチィ、私自身の本名にちょっとだけ似た名前を持つミッチィ、私は、結局おんなのこでしかないリボンの騎士サファイアよりもミッチィになりたかった。
ミッチィは、物語の最後で、太陽黒点の消滅により溶けてしまう。手塚治虫は、ミッチィを長らえさせることができなかったのだと思う。男女どちらにもなりうる存在、しかも有機的な存在であるミッチィは、生きながらえて成熟した場合、どうしても「生殖」という問題にぶつかる。生むのか、生ませるのか、あるいはどっちもやらないのか? 手塚が『メトロポリス』を描いた時代には、そこまで描けはしなかっただろう。
そいで話はとーとつに萩尾望都に戻る。予定なのだが、ダンナが帰ってきたのでここまで!(笑
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