花梨から出る声/天野茂典
ぼくが産声をあげたのは
相模原市淵野辺
の旅館だっとか
何もない相模台地の荒野だった
父の本籍が八王子だったので
八王子市生まれになっている
戦時中で食糧難だったから
当然ぼくも栄養失調になった
母に背負われ小田急線の踏切を渡って
医者に通った 小田急町田駅の
踏切である ぼくは2才か3才だった
ぼくの記憶はこのあたりから
始まるようだ 栄養失調のぼくを
診てくれた医者は食べさせるな派と
下痢しても何でも食べさせろ派に
わかれて母を困らせたようだ
今こうしてぼくが生きていられのは
母が食べさせるほうにかけたからだった
戦争が終わったときぼくは3才だったが
親戚に農家があって野菜など分けてもらいに行った
記憶がある 小田急線の踏み切りは健在だ
2004・11・30
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