さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
 
修飾の繊細さと説得力において、ボードレールはそのレトリックの手腕をいかんなく発揮している。この修飾による存在の細部に至るまでの愛撫、ここに両者の愛情が見て取れる。
 そして、修飾というものは皮肉なもので、修飾の対象以外の事物を用いないと十分に実践できない。形容詞だけの修飾は修飾として不十分である。例えばボードレールは、ドロテの純粋な存在だけではドロテを修飾できない。ドロテに対する最も純粋な愛情の表現は、ただ「ドロテ」と書くことだと思う。そこにボードレールの無量の愛情がつぎ込まれている。だが、それではドロテがどれほど愛すべき存在なのかが他者に伝わらない。ボードレールがドロテを愛していること、そして
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