「こじつけ」、それから問いの終わり/kaz.
も、結局のところ“問いを終わらせようとする”姿勢であることには変わりない。問題の解決と、問題そのものの解消は、どちらも問いが問いであることをやめる点で、問いそのものが終わっている。問いが終わるということは、問いが失われ、死が与えられるということなのだ。そのとき、残るはずであったあらゆる問いと答えの形式も、もはや形骸にさえならず、失われてしまっている。問いを終わらせた私たちには、問うていたという事実さえも残らない。忘却の彼方に投げ出されてしまうのだ。
倫理的な問題に、これと同じ事態が適応されたとすれば、倫理的な問題は告発され、解決されたまま、それが問題であったことがすっかり忘却され、新たに創造
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