誤読をどう受け止めるか(作者の死の憂鬱の中で)/kaz.
しばしば、誤読は起こりうる。多くの人は、それと気づかないまま、解釈の自由性や、読者の優位性に訴え掛ける形をとって、自論を正当化しようとする。それが大きな誤りを含んでいるかどうかはさておき、自分の誤読を認めようとしない態度を評価すべきでないのは、言うまでもない。言うまでもないことであるにもかかわらず、それが起こってしまう現状を、どう考えるのか、これが主題である。
解釈の自由性、読者の優位性を主張するにあたって、しばしば用いられるのが、作者の死の観念である。だが、これも根本的な要請から外れている。そもそも、作者の死の観念は、解釈の自由さを保障するための担保だったのであり、これを誤解して、自由と責
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