死と解釈のふるまい/kaz.
以前投稿した「書くということについて」を読み返す。執筆当時、お世話になっていた文学極道で作品の質の低下が叫ばれており、ダーザイン氏が代表を降りるなどして、存亡の危機ともいえる状況だった。先の散文には、スタッフに対する私なりの恩と反抗心が、一緒くたになって現れている。今となっては、掘り返しても何も出てこないだろう。せいぜい、掘り返しても何も出てこないだろう、と語るぐらいしかない。
私としては、書いた当時の姿勢だけを評価することにして、あとは一切を無に帰そう。ひとまずいくつかの論理的な不自然さから切り込み、イマージュやコラージュといった用語を取り払って、ここに簡潔な議論を試みるつもりでいる。詩と
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