八柱腰折れ屋敷十字舎房/一番絞り
った。
もはや意志の力ではどうにもならなかった。
Kは震えながら、哀願しながら、涙を流しながら、げらげら笑ってしまった。
無表情な看守は銃口をKの眉間に押し付けた。
Kは腰を抜かし、その場に崩れて小便を漏らした。それでも笑いの発作はとまらない。
庭に、かすかな白い蒸気と生臭い匂いが立ちのぼった。
看守が拳銃の撃鉄を引きあげる音がまるで爆弾のようにKの耳に響いた。
八柱腰折れ屋敷はその後、中野刑務所と名称を変え、昭和五十八年の秋、解体工事が始まった。
赤レンガの瓦礫の下からは山のように積み上げられた閂錠が現れた。
そして、たぶん、ひしゃげた一個の薬莢もいずれ見つかるだろう。
「屋敷」を設計したGは、竣工を終えてすぐに風邪をこじらせて寝込み、四年後、三十六歳の若さで夭折したといわれている。
ほんとうは「画家になりたかった」かれが生涯に一度、初めてつくった「お伽の園」だった。
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