詩の周りを巡って 3/非在の虹
では、詩を書こうという者が、個々に詩の理論を持ち、最上の詩はおのおの個別のものだとしたら、詩を書く者同士は理解し得ないのだろうか。
詩が、あきらかに、その個々の知性の選択した方法によって書かれたとしても、出来上がった作品は言葉で出来ている。
その言葉によって創られているという、まさにその一点によって、万人に理解される、という可能性がある。
あるいは万人に愛されるといっても良い。
または路傍のたった一人だけが理解しうる、それも全霊をかけて。
歓迎の仕方は様々だし、どのように歓迎されたいかも詩人各自の望みがあろう。
大事なのは、言葉で書かれる以上、つながる、という事だ。
心底図りがたい古代の詩も、遠い異国の翻訳も、言葉によって、初めて知り、初めて愛するのだ。
言葉。そして言葉によって書かれた詩。
詩作は技巧であっても、伝わるのは、そこからあふれた何ものかである所も、詩の不思議なところかも知れない。
(読み手を意識した個人的メモ、という不確かな文章なのですが、思いついた時、続きを書きます)
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