詩の周りを巡って 2/非在の虹
萩原朔太郎はその処女詩集『月に吠える』の「序」として、長文の詩論を披瀝したが、故なきことではない。
彼だけではない、心ある詩人のほとんどは、その詩集の巻頭に詩論を置いた。
詩と言えば、漢詩を思い出す人が大半だった時代に、自由詩とは何か、まずはそのマニュフェストを置かざるを得なかったのだ。
「現代」において詩とはなにか。
「私」にとって詩とは何か。
「民族」にとって詩とは何か。
その答えを一人一人が持つことだ。
私自身そのすべてに答えられるのか、心もとないが、その心頼りなさに身を責めつつも、考えなくてはなるまい。
考え過ぎだなどという事はない。
いつも自らの考えの至らないことに思いをはせ、無知を恥じ、多くの名品に押しつぶされつつも、忸怩たる身をはげましていく以外に、世界に到達するすべは、あるまい。
(メモのように書きはじめたものですから、途中でおなかが空いて、中断してしまいました。「詩の周りを巡って 2」となっておりますが、続きの文章です。
少しづつ、文章を修正している事もご容赦下さい。
修正点は内容ではなく、伝え方の推敲です)
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