赤い靴/非在の虹
 
空は忘れている。
堕ちていく海鳥がいることを。

海は忘れている。
昔むかしの船の事故を。

空の驕りはあの夕日。
逆巻く紅と紫の雲は大げさな身振りで
容赦なく人の目を射る太陽を抱えている。

海の驕りは朽ちゆく難破船をなぶる。
牡蠣殻とフジツボで船をおおい 腐るものを腐らし
遠慮のない大波の一撃で木端みじんに破壊する。

その空と海の間でたたずむ者がいる。
たった一人で波音を聞くその人の頬は
夕日に彩られて 海風になぶられて
先ほどまで流していた涙は今はその跡をかすかに残すのみ。

ああ だからその人の顔色は血の色を刷いているのだ。
ああ だから日が沈めば その人の顔は青ざめ
やがてその人の姿もまわりの樹々と見分けが付かなくなるだろう。



ねぐらを失った海鳥が丘の上で
赤い靴を見る。
しかしそれも瞬間視界をよぎっただけだ。
夜の不安の中で海鳥はもう
赤い靴のことは忘れている。
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