林檎のある浴室/リンネ
 
り、痙攣的に林檎をつかみ取って、あろうことかそのままかぶりついてしまったのだ。するとどうだろう、突然、女の足がよりどころなく、湯船の中をあっちへこっちへと、困惑したように行ったり来たりするではないか。
 私は二口、三口と、繰り返し、林檎をかじった。トマラナイ。トマラナイ。霧はなおも浴室を満たしているが、女ははじめのように、すっかり動かなくなってしまった。
 そんな折、湯船の中から、ふたたび何かがすすり泣く音が聞こえてくる。つまり、新しい林檎が水面に浮上する、という予感の芽生えである。私の視覚は、まだそこに現われる前から、冷たく、丸く太った林檎の姿を想像して、実に無邪気に喜んでいる。
 女はすでにそこにいないが、残り香によって、私はそれに気づかない。だがむろん、それはとりたてて重要なことでもなかった。
 浴室はますます湯気に溢れている。



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