お前が世界と戦う時は 2/テシノ
だとは言い切れないが、この「仲間」という味方は非常にタチが悪い。
何故ならば、人は時として「仲間」という味方を得るために敵を作り出すからである。
この時、戦いは既に己が味方を得るための手段でしかなく、そのためになくてはならない前提条件となる。
こうした「仲間」を得るための戦いで最大の効果を発揮する武器が、倫理や道徳である。
それは大声で叫ばれ、ますます人々の中へと浸透し、叫ぶ声は次第に大きくなり、やがて正義と呼ばれるようになる。
逆を言えば、人々が声高に倫理や道徳を叫ぶ時は、己が正義という力を得んがための戦いにピッタリな敵を見つけた時なのだ。
人々の血肉から抜き出されて武器となった倫理や道徳は、実態のないただの言葉にすぎない。
私は別に構わないのだ。イケメンやエコバッグを賞賛していい。倫理や道徳を大切にしていい。
だが、それらを味方を募るための「善きもの」として、そこから敵を見つけ出すような戦い方をしてほしくない。
そんな風にお前が世界と戦う時は、私がお前の敵となろう。
私はこの言葉でもって、世界に介添えする。
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