ポエム・現代詩/非在の虹
 

詩の商業雑誌「現代詩手帳」が実験詩の採り上げに積極的であることから、現代詩=実験詩という発想が出てきたのかも知れません。
しかし「現代」という時間、歴を表す単語はどう解釈すればいいのか。
やはり近代詩に対置する言葉として、現代詩を考えるのが妥当でしょう。

近代詩は明治15年(1882)に刊行された「新体詩抄」から始まるとして、現代詩はいつから始まったのか。
詩人の大岡信は口語自由詩の登場からと考えているようです(『現代詩人論』)
朔太郎の『月に吠える』大正6年(1917)からでしょうか。
そうすると光太郎も三好達治も宮沢賢治も書いた作品は現代詩だというわけです。
その辺は、歴史か国語の教科書どおりでいいのかも知れません。

いずれにせよ、ネットの詩がけっして文学の孤児ではないことのためにも、ポエム・現代詩について新しい認識が欲しいのです。
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