道を走る、走り続ける/ブライアン
の時の情景のようなもの。小説は嘘だ。けれどもっとゆっくりと現実は物語をつむぐ。小説と同じように。
読後もやはり嫌悪感を隠せなかった。
彼が小説から見た、かつて、の映像を、僕は最後まで呼び起こせなかった。それはもう、作品が愚作なのではない。僕自身が愚作なのだ。
先日、妻と子供と一緒に帰省した。
山の麓のお墓に行った。近所の隣組の人たちが、新聞紙や木屑を墓の上にある畑で焼いていた。空が燃えるように青い。焚き火の熱が空を歪めている。額に汗をかいた近所の隣組の男衆が、喪服に身を包んだ親族を促す。木陰で蝉が鳴いている。
親族一同は大型バスに乗り込み、父は運転席に座る。姉の子供が助手席に座りたい、と騒いでいた。
山が周囲を囲み、逃れるには焚き火で焼かれるしか方法はないように思えた。それでも道は東京までつながっている。道がつながっている限り、彼と僕は襷でつなぐことが出来る。後輩たちがいる。先輩たちがいる。
勝者でなくてもいい。たどり着くことさえ出来れば。僕らは焚き火のように天へ登ることは出来ないだろう。でも、ずっと道を走り続ける。
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