詩と非詩の境界 自由詩の限界についてのメモ/片野晃司
 
意味を見失いかねない。ここまでは詩、ここから先は非詩、の境界を考える必要がある。
とりあえず、このくらいまでは詩、という飛距離を考えてみると、
・読めない記号で表された詩
・声だけで表され、文字に表せない詩
・3次元の構造をもち、紙などの2次元に表せない詩
・状態が不安定で再現性がない詩(ただし文字/記号あるいは声で表されていること)
このくらいまでは現実にあると思う(具体例を探すのはめんどう)。
文字/記号で表されるか、声で表されるか、そのどちらかであることが詩であることの条件であるように思う。それを外れると、絵画や彫刻、音楽その他のカテゴリへ逸脱してしまうだろう。逆に、そのどちらかの条件を満たしていれば、メディアが紙であれ金属であれ液体であれ気体であれ、立体であれ平面であれ、記号/文字あるいは声を置いて詩と主張することができる。
そのなかでさらに詩に制限があるとすれば、それは表現と社会とのインターフェースだろう。他人の塀に勝手に詩を書いたらいかんだろうし、読み手に身体的な危険が及ぶような詩はいかんと。

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