「雨の日、その一日が悲しいのは気のせい」/ベンジャミン
て
ふと悲しみがこみあげてくるのを我慢しました
我慢している自分を悲しいと思うことも我慢しました
世界はあまりに広いので
こんなちっぽけな悲しみを我慢する悲しみなんて
雨粒一つの価値もないと思えたからです
ならば僕はこの雨の日に
世界の悲しみのいくつかをしっかりと受け止めて
今日という日を悲しくしないでいようと思いました
見上げれば
はるか上空から降りてくる無数の雨が
世界と僕とをつないでいる線のように感じました
それはきっと気のせいです
だから
雨の日、その一日が悲しいのも気のせい
瞳にあふれた雨がこぼれて
まるで涙のように流れてゆくのも
きっと気のせい}
戻る 編 削 Point(6)