接触への欲望、虚構による螺旋/葉leaf
 
のレベルでも「ヒナゲシの赤」が流体化しない限り「吹く」ことは不可能である。それにもかかわらず「ヒナゲシの赤」が「吹く」と主張することは、流体でないものを流体化させるという意味で虚構である。「ヒナゲシの赤」は流体として、風とともに「吹いていく」のである。このようなメタファーもまた虚構であり、螺旋が伴う。ただ、螺旋の色合いが通常の虚構とは異なるように思える。

3.おわりに

 引き続き「接触」と「虚構」との関係について論じなければならないように思うのだが、紙幅が尽きてしまった。「道を 小道を」は、伊藤自身の「道」を行く足音が聞こえてくるような詩集である。伊藤の詩語を食するとき、それを支える器として、伊藤の「道」がある、足音がある。スプーンと食器のぶつかる音が快い。

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