パソコンは21世紀の恭次郎を堕胎させるか/KETIPA
 
写植技術が発達したことが、新国誠一のような象形詩が登場するきっかけの一つになったとされる。象形詩、あるいは視覚詩というのは、それこそ単語や文字を、大きさや角度も自由に変えて配置し、一つの詩画面を構成した作品だ。またそれより早く、萩原恭次郎も言葉やらなにやらをおそろしく自由に並べた詩集『死刑宣告』を刊行している。新国の『0音』が1966年、恭次郎の『死刑宣告』はそれより40年以上早い1925年。これも文字の角度を90度変えたり、実に衒うことなく文字や言葉が並んでいる。

ひるがえって今はどんな感じか。パーソナルコンピュータやケータイの全盛期である今は、こんなどこの誰が書いたかわからないような文章
[次のページ]
戻る   Point(1)