秘密荘厳大学文学部/済谷川蛍
 
ここからヘッセの魂が伝わった」
 彼女は今にも泣きそうな目をしていたが、なぜか気丈に笑った。私は思わず顔をそむけた。可笑しくもないのに笑った。嬉しかったのかもしれない。
 これだけで彼女がヘッセのすべてを理解しているとは判断出来ないが、確かに彼女は多くの読者が指し示すことのない本来のヘッセを私に指摘してみせた。
 彼女は少し泣いているようだった。黒目が潤んで妖精のような顔になった。
 「きみ、がんばりたまえよ」
 特に意味もなくハンスの友人ヘルマン・ハイルナーの口調を真似した。
 「は、はい」
 私は彼女の背中をポンと叩いた。女性に触れるのは数十年ぶりだった。私のアドバイスがなくても彼女は実体験だけでレポートを書き上げることが出来るだろう。時計を見た。まだ3講時には間に合う。私は「じゃ…」と言って出口へ向かって歩いた。
 「あ、ありがとうございました」
 私は振り返らず、片手を軽く振ってドアを閉めた。
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