労働/攝津正
かつての哲学青年が「世界苦」を苦しんだとすれば、自分は自分一個の苦しみを生きている、と考えたのである。
自分苦を生きる攝津も職場に入ればone and onlyではあり得なかった。職場での攝津は没個性的であり、誰とでも同じな、快活な中年男性だった。攝津は三十四歳であり、今年の五月には三十五歳になる。攝津は年齢のことをひどく気にしていた。もう若くはないのだ、といつも自分自身に言い聞かせるように呟いていた。攝津はもう何度も、不注意からの事故で死に掛けていた。だが生き延びたのは偶然だ。攝津は偶然に感謝するとともに、残された時間でできることをしようと考えた。出来ることというのはピアノを弾くことと文章を
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