労働/攝津正
 
 攝津はその日も浦安の倉庫で肉体労働していた。
 攝津は自らの仕事を気に入っていた。厭々ながら、金銭の為に始めた仕事ではあったが、慣れるとともに自分の力量、技術を発揮する喜びを知った。低賃金が悩みの種だった。この仕事で生活できるだけの収入を得られれば! 
 攝津は幼い頃からの育ちの歪みが原因で精神を病んでいた。診断は社会不安障害だったが、要するに社会適応が出来ないということだった。適応出来ないというのは、労働と性において顕著に表れた。攝津は同世代の他の若者と同じように働けなかったし、恋愛や性交も出来なかった。コミュニケーション=交換において攝津は躓いた。攝津はそれを「自分苦」と呼んでいた。かつ
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