『美津』のはなし/亜樹
 
識することなしに勝手に生まれてくるのだ。ちょうど、夢を見るように、美津の頭の中で『おはなし』は紡がれる。
 『おはなし』の主人公は、いつも美津だ。それは例えば、地下鉄に乗っていない美津。大学に進学しなかった美津。剣道部に入らなかった美津。通学途中に柿の実をとらなかった美津。屋根から落ちて足を折らなかった美津。病院で生まれなかった美津。父親からXの染色体を貰わなかった美津。誕生日が6月3日でなかった美津。生まれてこなかった美津。
 選ばなかったたくさんの分岐の、その先を歩いている自分。老人であれ幼児であれ、美津から生まれる『おはなし』は、どれもこれも全部美津の話だ。
 それもそうだろう、と思う。自分の中から自分じゃないものが生まれるだなんてことは、美津には想像もできない。
 ならば、と美津を思う。
 近頃随分と大きくなった腹部を撫でながら。
 この中から生まれてくる『美津』は、この頭の中で紡がれたたくさんのおはなしの主人公たちの、一体誰に似ているのだろうか、と。
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