現代詩をそんな読み方してないゆえに/KETIPA
わかったことがある。
これまであらゆる現代詩を読んでいても、言語的な感動をしたことがない。
そのことが、自分の作品にある致命的な欠落(文字の連なりに付加価値を与える要素)の正体であり、そしてその、詩のバックボーンを支える言語的な感動を、どうにも理解できない。
ここでいう言語的な感動とは、つまりその詩で表現されている内容そのものに感動すること。いろいろなキーワードや言葉を用いて、一つの詩でなにかしらのこと、たとえば光景、風景、心情、叙情、なんでもいい。それらのことを読み手が感じ取って、それを見事に表現しているだのなんだのという(んだと思う)。そこには多分に個人的な経験が反映され
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