人が待つもの/チャオ
 
つ」行為とは、それがあまりに平凡で、トムが懇願する愛であるような特別性をほとんど無視させるのだ。

「待つ」という行為は、それ自体では、行為として成り立つことができない。だが、だからこそ、人々は、夏行為に、苛立ちを感じ、時に切なさを抱くのだ。なぜならば、何もすることもできずに、その結果を受け入れなければいけないから。
だが、それでも、待つ行為をしなければいけないことがある。それが、人生なのだ。最後にもう一度、トムの歌う()を考えて欲しい。
そこに待っていたのは、中也なのかもしれない。そう、駆け出して言ったなら、見つけられることもなかった、中也の本心がそこにあったのかもしれない。

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