身体の海【5/6】自由に、自由を/A道化
 
 『悲鳴をあげる身体』(鷲田清一著・PHP新書)の中に、ここ1ヶ月ほどピアッシング、体、痛みについて考えていた私をはっとさせた記述がある。


   「そのような錯綜した身体状況の背後にあるのは、<自由>への渇きというものではないか」
   *
   「じぶんの意のままになる身体という夢」 
   *
   「身体の絶対的な所有によって身体=自己をパーフェクトに支配したいという夢」


 …ああ、そうか、自由への渇き、

 ここで述べられているのは、あくまでも「身体=自己」についてだ。
 けれど、私にとってピアッシングは、思い通りにならない「身体=自己
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