傷/回想/千月 話子
 
霧雨が止んだ午後
兄さんが里山へ 
野いちごを摘みに行こうと言った

空にはかすかな光り
濡れた緑が 濃い空気を吐き出して
後に続く僕の 切れ切れの息を
奪うように纏わり付いてきた

兄さんは時々後ろを振り返り
小さな気配を確認すると
また 走り出す

目の前の障害物を
軽々と飛び越える長い足の曲線は
雄鹿 に似ている

空気を切って走っているのか
草木は微微とも 動かない

僕はとっくに走るのを止めて
しなやかに走り去った獣を
小さな五感を使って探し出す

数メートル先の林の中から
キー と高い声で鳥が鳴く
もうすぐ そこから
激しい羽音を響
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