表象と表現、能動と受動、行為における偶然性/チャオ
 
してるやつ。そりゃあ、本読む暇ないね。と思った。

結果、本にそれほどの魅力がないのだ。
でも僕は本を読む。それがなぜだ?

表象されていくものは、表現されていくものよりももっと深く、もっと広い。単純に、僕らの生活そのものが表彰であり、それらを細分化したもののひとつが表現に近い。

本は表現手段として、世界に表現される。そこから価値が生まれる。表象されるということは、意味を持つことだ。

ところで、僕らは何のために生きているのか?少なくとも、意味の肯定のために生きているはずだ。自分自身の意味、命の意味。もし、すべてが消えていくものだとしたら、そこに残された意味は何であるのか?

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