「戦争」の虚偽と「正義」の再構築−「存在の彼方へ」を読んでみる18/もぐもぐ
 
が、どれだけの「盲点」「死角」に支えられた上で初めて生じうる事柄であるのか、それへの気づきが生じたのなら、
もし、「盲点」「死角」が、どれだけ多くのものを与えているのか、それに気づいたのなら、
目の前に掲げられた何か欲望をそそる「存在」に対して、それに固執しようとする姿勢も和らぐのではないか。レヴィナスはそう考えているのではないかと思われる。

「存在」の「全体」性は、「それだけがすべて」というあり方である。上のパスカルの言葉で言うのなら、日向ぼっこすること、日向ぼっこする場所、そしてそれを確保すること、「それだけがすべて」である、そう意識が考えるとき、それを巡って複数の人々が必然的に争わ
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