抹殺されるもの、若しくは現れないことの功罪−「存在の彼方へ」を読んでみる17/もぐもぐ
 
レヴィナスの議論を要約すると、このような主張になるのではないかと私は思う。


「視界」に写っているものは、理論上はコントロール可能である。自分の気に入るように作り変えたり、破壊したり出来る。
けれども、「死角」「盲点」にあるものは、原理的にコントロール不能である。それは私の自由にはならない。
通常の意識は、日常生活でも、哲学や科学の理論的な議論でも、「死角」「盲点」は往々にして「ない」ものとして扱われてしまう。それに対して「宗教」はその「死角」「盲点」があることを見詰める。この点で「宗教」の発想は他の分野の発想とは場合によって対立し、「非合理的」と非難される。

私たちは「死角」「
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