抹殺されるもの、若しくは現れないことの功罪−「存在の彼方へ」を読んでみる17/もぐもぐ
 
レヴィナスは、意識や哲学を「現在」という言葉で特徴付けているように思われる。

「現在」は、時間的な「今」であると同時に、「現れて−在ること」、目に見えるような形で立ち現れていることである。

そしてそれは、「主題化」という概念にも結びついている。


時間−視覚−言語と、それぞれ本来レベルが違うものなのだが、レヴィナスは、終局的にはそれらがいずれも「存在の我執」に仕えるものであると見るのだろう。


レヴィナスが議論しようとするのは、この時間−視覚−言語の強固な三角形に「死角」はないのかということである。


何かを見ている人が、見えていないものになかなか気づかないとい
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