生かされていることへの感謝としての宗教/レヴィナスの宗教哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる16/もぐもぐ
ているが、私はいくら私の注意と意思を振り絞っても、そのすべての細胞を合理的に管理することなど出来はしないのである。私は私の気付かぬところで、無数の脅威と危険に曝されている。私は細胞という、小さなレベルで、常に自然の威力と隣り合わせにして生きている。私は身体を持つ以上、機械人間に自分を作り替えてしまうことのない以上、自らの体の中に恐るべき爆弾、敵を抱えたまま生きざるを得ない。もしホッブズ的な理性を徹底すれば、私は私の身体を捨てて、機械の体に乗り換えるべきであるということになるだろう。しかし私は、どれだけ危険であろうと、私の身体を受け入れて生きる。それは私が、私の曝されているところの自然にある程度身を
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