『インサート』/m.qyi
 
もともと詩文の解釈批評についての考え方が言語そのものの考察に端を発しているので、言語についての理解がもっと必要なのかもしれませんが、ここではその疎外の度合いのみを言及しました。)例えば、粘土より木の方が、木より大理石の方が制約が多く、鋼鉄の塊に鑿を立てるとなると不可能に近いでしょうが、そのくらいの制約が言語にはあるはずでしょう。しかし、それが全く感じられない構造を言語はもっているようです。「愛」のような感情、「性愛」のような感覚の場合、難しい理屈はいらない、ただ心のままを言葉で表現/表出(express)すればいいわけでしょうからこの使い難さ(疎外感)がないように思われます。
「性愛」と言うとな
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